内山峠

On 2010年5月19日 · コメントは受け付けていません。

内山峠は佐久と下仁田を結ぶ国道254号線の峠である。
現在は内山トンネルができて快適な道になり、上信越自動車道や国道18号線の抜け道として利用されている。だが、かつては未舗装できついカーブの続くなかなかの難所であった。
武道峠を越えて、小海から前橋市の実家を目指す。臼田からは国道141号線を外れ、旧道を走って中込から国道254号線に入った。
内山峡を詰めていく道は快適な高速コースである。秋のシーズンには両側にコスモスが乱れ咲く。30年近く前、父親の車で走った頃は未舗装の狭い道が集落を縫うように走っていたが、いつの頃からか道は舗装され、直線的に改修された。佐久側からは標高差が小さいので、文字通り高速道路並みに飛ばすことが出来る。
この峠は何度となく越えている。免許を取って初めて来た峠もここだし、それ以来、様々な季節、様々な時間、様々な天候の中で越えている。雨模様の日、深い霧に閉ざされた群馬側を下ったこともあり、ぶつけられて不安な状態のまま佐久から越えてきたこともある。実家から長野に行く時も、国道18号線を避けてこの道を越えるのが常だった。

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鳥居峠

On 2010年4月20日 · コメントは受け付けていません。

鳥居峠(とりいとうげ)は、長野県の塩尻市奈良井と木祖村藪原を結ぶ峠。
標高1,197m。峠山の標高は約1,415.7m、旧中山道の難所であった。

古くは吉蘇路(きそじ)の県坂(あがたざか)、中世にはならい坂、薮原峠と呼ばれた。国境に位置しているので、中世には戦いが何度も行われた。木曾義昌と武田勝頼の戦いで命を落とした武田方の兵士500人を埋葬したという「葬沢」なる沢もある。木曾義元が御嶽山に戦勝祈願のため、峠に鳥居を建てて以来、鳥居峠と呼ばれるようになったといわれている。

峠の東側を北に向かって流れる奈良井川(日本海側河川)と、西側を南に向かって流れる木曽川(太平洋側河川)との中央分水嶺。木曾谷地方の信濃国編入以前は、ここと境峠(長野県道26号奈川木祖線)が信濃国と美濃国の国境であった。

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和田峠

On 2010年4月1日 · コメントは受け付けていません。

和田峠(わだとうげ)は中山道(中仙道)の峠で、長野県長和町と下諏訪町の間にある。最大標高1,531m。
筑摩山地を越える峠の一つ。中央分水界にあり、峠の北側は千曲川を経る信濃川水系で水は日本海に注ぎ、峠の南側は諏訪湖を経る天竜川水系で水は太平洋に注ぐ。
中山道は、江戸幕府によって整備された街道であり、平均すると2里程度の間隔で宿場町が置かれていたが、この和田峠は険しい山の中にあり、峠の江戸側の和田宿と京都側の下諏訪宿の間隔は実に5里半弱と長い。冬季の降雪も多く、中山道最大の難所とされていた。このため、途中に何箇所か旅人のための避難所や茶屋が設けられていたほどである。これらの茶屋は「西餅屋(下諏訪宿側)」「東餅屋(和田宿側)」「接待(和田宿側)」などと呼ばれ、いまでも地名にその名を残している。

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大門峠

On 2010年3月1日 · コメントは受け付けていません。


大門峠は、標高1,441mあり、長野県長和町と長野県茅野市に跨る、国道152号線上にあります。
また、ビーナスラインとの交差点でもあり、横に白樺湖もあることから峠のイメージはないです。
しかし、ここはかつて、武田信玄と上杉謙信が戦った川中島の合戦において、12年間に5回にも渡る大戦で、信玄はそのたび大門峠を越えて北上していったといわれる歴史上重要な峠なのです。
また、日本百名峠の1つに選ばれています。

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